特定不能の何か

医学と社会保障、国家、人生、感じたこと.

天災がすごい

 今年はやっぱり天災が多いんじゃないだろうか。調べてないけど。

 北海道のあの辺り、数年前に登りに行った気がする。

 そのうち、現地派遣されそう。

 被災された方、何とか頑張って。

 

 

 ちょっと前にチラと、職場の人間関係について書いた。

 まあわかりやすくいうと、女上司の気分の変調に振り回されるタイプのパワハラ。それがあまりに度が過ぎてる気がして、2ヶ月ほど我慢した末、課内の上司と人事に相談しておいた。まあ、切羽詰まったほどではないが、こういうのを確実に上司に伝えておくと、後で何か*1あったときに役立つと聞いてのこと。人事担当の上司がいい人なので、相談はしやすかった。

 こういうのは、組織の中でもうちょいポイントを貯めてやったほうが、切れ味が上がるんだけどな、と悪いことを思っていた。

 

 

 今、我が家には以下のようなガジェットものがある(カッコ内は購入した年)。

英会話をフィリピン人としているんだけど、この前 iMac がちょうどアップデートになってしまい、時間に間に合わなかったので Vaio でやろうと思ったらカメラが半分映らない状態になっていて、SSD の容量もまもなく満杯といった状態だった。

 PC が、4、5年目となって、まだちゃんと動くんだけど心許なさも出て来たところだったので、少し物色していたのだけれど、前から気になっていた Thinkpad がずいぶん安かったので買ってみることにした。

www.lenovo.com

 大学〜今に至るまで、メイン PC は Mac、サブは Win にしていた。それこそ10年くらい前は、Win 機がやたら高く、国産 PC は価格に見合った性能じゃないのと、見た目がひどいなと思っていて、Mac 中心に使っていた。Win で唯一許容できたのが Vaio だったので、サブ機は Vaio にしていた。最近はそうでもないけれど、学会でのプレゼントかで Mac を持ち込めなかったり、PowerPoint を事前に送付しないといけない場合に、MacMS Office ではレイアウトが変わってしまったりといったことが起こっていたので、Win 機をサブとして持っていた。Vaio は見た目もいいし、結構軽いのでよかった。

 私はプログラマでもないし、時折文章は書くけれどコンスタントに長文を書くわけでもないので、特別なスペックって必要ないんだけれど、家電は基本的に最大スペック近くを買うようにしているので、価格とも比較しながらではあるが検討していたところだった。

 転職してから家にいる時間が極端に減って、デスクトップ PC は整理対象だな・・・と思いつつ、まずはサブ PC の候補を考えていた。

 で、久々に MacBook Pro を見に行ったら、最近結構高いんですね。まあ当時(10年前)はずいぶん円高だった気もするから、為替の問題もあるのでしょうが。最大構成に近くすると、30万円くらいしてしまい、うーんとなって。いや、私の使い方でメモリ16GBとかいらない気もするのだけれど。

 で、前々から評判を聞いていた Thinkpad を見てたら、やっぱりずいぶん安い(中華製だからか)のと、MBP よりはちょっと軽いのと、MS Office 込みで20万円以内になったので、買ってみることにした。ちなみに今日は、少し実機も触りに行ってみたのだけれど、案外分厚いのがどうだろうなという感じ。まあ、滅多に持ち運ばないわけですが。

 

 今後、デスクトップ PC は整理、タブレットも実はあまり使っていなくて、iPhone でだいたい何でもできてしまうので、どうしようかなといったところ。2016年は、所得がよかったのもあり、熟考せずの放漫財政だったので、反省するところである・・・

 

 

 そういえば、骨折にかかった医療費の一部が戻ってくるとの通達があった。12万円ほど戻って来て、自己負担は3万円ほどで済んでしまった。この国の公的医療制度はすごすぎる。そして、今年の私の総医療費(保険で出た分含む)は、約100万円になった。申し訳ない。頑張って働くことにする。

 

 

 生きる意味を問い始めると、意味を失った時点で死ぬことになる。

 そうやって、大事なことをパラメータに落とし込むやり方は好きじゃない。巨乳が好きとか可愛いのが好きとかイケメンが好きとかマッチョが好きとか、雑談レベルでならいいんだけど、一回言ってしまうと、「そのパラメータについてより上回るやつ」が出てきた時に困るんだよな。

 きみが好き、でいいんじゃないか。どこが好きかとか言わない。

 生きてるだけでよかったよと私は思う。被災者の方々の無事を祈る。

*1:死ぬとかいうんではなく、辛くなったら異動させてもらったりとか

受傷後半年

 早いもので,右手を折って半年経った.

 

 ここ最近は,変化自体はほとんどないけど,現状としては,

  • 機能の面で,日常生活には問題ない.
  • 曲げるのと反らすのがそれぞれ7割・8割といったところ.
  • 手を突けないので,腕立てはできない.
  • 最大限曲げると痛い.

といったところ.必要なことはできるけれど,痛いのでちょっと不便.

 

 橈骨遠位端骨折で調べると,ボルダリングで落ちて骨折とかってブログを目にするんだけれど,半年も経てばボルダリングを再開されていたりする.まあ場合によるんでしょうが,私の場合だったらとてもじゃないけどできない.引っ張りは何とかなっても落下した時がめちゃ痛いだろうし.

 

 あと,少し後悔しているのが,リハビリをもう少ししとけば可動域が広がったんじゃないかってこと.複雑骨折なのでなかなか難しいのだろうけど,リハビリのやり方をちゃんと聞いとく(そしてそれに基づいて普段から曲げ伸ばしをする)ことをすればよかったなと思った.

 

 それから,怪我をしうるスポーツをやる人は,安くていいので傷害保険に入るといいと思った.まあ,マラソンって普通怪我しないスポーツだと思うのだけど,転んで骨を折ることもあるし.傷害保険は比較的掛け金が安いので,その点でも加入はしやすいと思う.

 

 しばらく,月1くらいで通院をして,来年2月頃に埋め込まれた金属を抜く予定です.

悩みについて

 組織の人間として働くのは思いの外難しいと感じるこの頃.個人プレーでは絶対にどうしようもないことばかりだから,上の人から下の人まで,どうにかまとまって成果を出していかないといけない.いま,上の人が全くゴールを描かず,とりあえず前にだけ進むというやり方をしているので,下の人としては非常にストレス.

 このこと自体はある意味「手本」として,次回に生かそうと思うところだが・・・なるべく建設的な助言をしようにも,あまりにフレッシュマンすぎるのと,チームが完全に分断されていてディスコミュニケーション著しく,狭間に立っても具合が悪いばかりなので,どうしようもない.

 なんとか裏で関係調整をして,被害は最小限に,できることならアウトプットをましにしたいところ.

 

 

 仕事で悩むことは珍しい.久しぶりに悩んだのが上記.

 一方,割と常に悩ましいのが実家のこと.親とはあまり折り合いがよくなく,なかなかうまくいかない.

 私としては,結構頑張っているつもりなのだけど,親の要求水準に達しないというか,いちいちやなことを言われて削られる.

 今の自分があるのは親のおかげという面は多分にあることは事実で,それゆえ親を大事にとか,理屈抜きにそうあるべきよねとか,いろいろと思うわけだけれど,親とやり取りするだけでこんなに疲れるので,この関係を続けていけるのか不安に思う.

 

 

 ものすごく道徳的に不適切な発言をすると,親って子にとっては呪縛だなと思う.いや,そうならないよう努力している親というのもいるかもしれないが.

 ひとつには,曲がりなりにも「育ててくれた」という変えがたい恩みたいなのがあるから.実際は恩でも何でもないことのはずだが,子としてはそれは覆せない事実で,道徳的に抗い難い事実だろうと思う.子のできる範囲で親のためにしてやれば良いと思うけれど,実際はそれほど柔軟な関係でもないように思う.

 ふたつめに,老いていけば病気や介護という負担があること.遠方の親の介護なんて,想像できないのだけれど,子の生活に大きな影響を及ぼすだろう.諸先輩がたはどうやって折り合っているのか知りたい.

 

 親の言う,「育てたんだから,その後の親の面倒くらい見て」というのは,覆せない命題なのだろうか.

 私自身は,親になることはないだろうけれど,仮に親の立場なら,まず子の近くかつ,干渉しない程度の距離で生活できるよう努力する.生活の面倒については,子の判断ではあるが,金で解決(施設含む)するかどうかについてあらかじめ考えておく.面倒をみるために,子の生活に制限がかかって欲しくない.

 子育ては,したことないけど多分,自分にとっては楽しみだと思う.私が思うところでは,親の方こそ子に感謝するんじゃないだろうか.

 

 親子という,変えようのない関係性とうまく付き合うには,親も子も,お互いに無限に責任を持ったり,干渉したりしないあり方を作り,維持していくべきなんじゃないだろうか.

 子,アホだからアホなことをするものである.必要最低限の監督義務以外を親に負わせるべきではないのではないだろうか.少なくとも,過剰な社会的な制裁が必要だとは思わない.虐待という現象にも注意が必要だと思う.

 子の人生は,やはり子のものである.親が責任を持とうと思うことが無理筋であり,どのような人生もその子が引き受けるしかない.最低限の教育としつけがあればよいのではないだろうか.あと,しっかり褒めてあげて欲しい.

 親,現代の日本は医療と介護の多くの部分が社会化されている.家族で過ごしたいというのはかけがえのない価値だし,それを可能な限り実現する仕組みも存在するけれど,やはり子の生活に影響を与えることは不可避だろう.平たく話し合いを持ち,子に引き受けてもらう範囲を決めて,社会に引き受けてもらわざるを得ないときはそうして欲しい.そういう意味で,小さいうちから家族で普通に話ができるような関係を作っておくことが大切.

 

 親子,家族,夫婦,パートナーという関係性が,もう少し柔軟であってほしいと思う.固い関係性は,いろいろとしんどい.

 それでも,ぼちぼち関係修復をやらないとなと,気が重い.

世の中はお盆

 あっという間に世の中はお盆,そんな時期.

 前回の出張以降,忙しい.いや,実のところあまり変わりはないのだけれど,平日,休日共にやることが詰まりに詰まっている.それはいいことである.

 

 

 右の橈骨遠位端骨折をやってから半年が経った.今日は久しぶりの受診をした.

 今回の受診が久しぶりだったのは訳があって,春からの転職にあたり,東京の病院へ紹介してもらったのだけれど,人工物が入った状態なのでいつかはそれを抜かなければならないので,それまでは通院が必要である.多くの場合は半年〜1年程度.今回は,1年程度してから取り出しの手術をするとのことで,それまでは定期的に通院をすることになっていた.「(取り出しの手術は)どこでもできますから」とのことで,自宅近くの病院を紹介してもらったのだけれど,結局そこでは手術できなくて(正確には,取り出しのような急がない手術はやっていない),再度紹介となって,紹介状代を二重に徴取されるという残念な結果.しかも,仕事も休めず,今に至るという感じ.

 手の方は検査上は変わりなし.通院を継続.

 実際の生活上は,問題にはならないが,相変わらず完全に前後に曲げられないのが地味に辛い.手をつけないので,ちょうど腕立て伏せをするような手の形が取れない.こけて手をつくと非常に痛いので気をつけている.

 力はほぼ十分に出るので,あとは可動域だけといったところ.

 

 

 休みを2日取って,彼と出かけた.

 山に登った.天気は悪かったけど,私の一押しの山だったから,しっかり槍も見せてくれたし,朝日も見れた.

 

 あと,相手が10月で転勤になることになった.

 結構大ダメージ.しかし,仕方がないことである.

 高速バスで行き来するのは,大学生以来のことである.幸い,LINEを使うと電話はただなので,ありがたいことではある.

 はてさて,こういう時,どういう気持ちになるのが正解なのだろうか.「これを機に,お互いにステップアップの時間にしよう」みたいな表明,非常にダメな気がするが.

 

 

 お盆だというのに実家にも帰らず,勝手に過ごしてしまった.

 ただ,実家との折り合いがそれほどよくない(と思っている)自分からすると,お盆は実家へ帰らねばならぬという考え方は辛い.

 親のこともあまり良く思えないのだけれど,それもいろんな呵責があって辛いところ.

 ま,好き嫌いと,通り一遍の感謝の表明や儀式の参加をすべしということは,もう少し切り分けて努力すべきだなと思う.病気をして感じたことも,喉元過ぎればなんとやらってやつだ.

 とはいえ,よりにもよってすげーむかつくタイミングでメールを寄越してくるのもやめてほしいけど.

もう8月

 「まだ7月下旬,よゆーよゆー」と思っていたが,実はあと2日で終わる7月.早かった.

 

 あんまり更新する機会がなかったのは,通常営業が忙しかったのもある.8割くらいはお弁当作っていたんだけど,本当におかずが毎日/毎週同じなので,写真にするのがかたじけない感じだった.実は,昼ごはんのおかずと晩ごはんのおかずも同じだから(作り置きなのでね),猛烈に同じものを食べていることになる.誰かと一緒に暮らすようになったら,そのあたりは是正します.

 

 

 初めて出張に行ってきたのですが,仕事のことは書いてはいけないっぽいので(職場の研修でSNSとかに注意って言われるし,ネットに発信すること自体が微妙),詳細は書けず.

 先般の豪雨で被害を受けた地域に出張してきたのですが,生活が元に戻るまで,途方も無い時間がかかる見込みで,大変にお辛いなあと感じた.

 東日本の時みたいな光景(水害の後の,砂漠みたいな状態)だったらしいんだけど,今回の浸水はあくまで限られた狭い地域のことなので,少し車で走ればすぐに平常営業の街があって,物資に事欠くことは基本的に無い(それも実は嘘なのであるが)けれど,そうであるからこそ,その地域を復興させるのが難しいというジレンマに,災害復興の難しさを感じたところ.

 

 

 1週間も出張してたから,生活のペースが狂ってしまった.来週は取り戻したい.そうこうしているうちに,8月になってしまうけれど.

ライフログ

 最近は出勤時間を前倒す,サマータイム?朝活?をやっている.それほど頑張っているつもりはなく,もともと朝は強いし,通勤ラッシュで無駄に削られるよりも,1時間早い電車に乗るだけで随分楽になる事実も助けて,早朝出勤は2週間ほど続いている.とはいえ,職場まで1時間弱程度で着くので,出発時間を6時40分頃にするくらいのものだけど.

 通勤ラッシュは全く非合理的で,一刻も早く無くなって欲しいけど,さしあたっての工夫としては,早朝出勤は効果的.通勤も,座れさえすれば割といい読書時間になる.

 早朝出勤の最大の問題は,冬が辛いことだろう.

 

 

 バーゲンというものは,結局買うべきものがなく,買う必要がないものが安く売られており,無駄に金を失うことが多い気がする.ただ,例外もわずかながらあると思う.

 アマゾンがバーゲンをやっている.確か1年くらい前の Prime Day でルンバを買ったんだけど,これは正解だった.どっかに書いた気がするので詳細は省くが,床に物を置かないことと,おおまかな床のゴミはほとんど取ってくれることが素晴らしい.確かに贅沢品の部類なのかもしれないが,ルンバを買って以降,床の掃除機がけを能動的にやったのは数回に過ぎない.その分,床の水拭きに費やせるので,トータルとしては部屋が綺麗になると思う.

 これは,バーゲンをきっかけに導入した,よかった家電.

 今回,グーグルホームを導入したいけど,めぼしい情報が入ってこないので見送りかな・・・

 

 

 最近,仕事でいろいろなことの「現状分析」について考えているけれど,現状ってつまり,歴史のことなのかしらんと思っている.

 複雑怪奇な仕組み,あるいは,無価値で非合理的だと思われる現状について,その成り立ちや本来的な意味合いなどについて考えていると,当然歴史に目を向ける必要がある.実用主義に偏りすぎると,歴史的経緯に価値はないと思ってしまうのかもしれないけれど,なるべくしてなった今,というものに目を向けることを忘れてはいけないように思う.

 そして,現状,課題,今後の方向性は,いずれも別々の目的があるので,明確に区切って考える必要がある.いかなる歴史的経緯があったとしても,現在の課題は解決して行く必要がある.

 

 

 いろいろ考えるが,世の中には解決できないことは少なくない.

 人と人がわかりあうということは,本来的に不可能なのかもしれない.

 身近なインターネットの界隈に,憎しみの連鎖のようなものを感じる.人と人なんだから,衝突があって当然なのかもしれないけれど.

 私は,集団で過ごしていくことが困難な人たちや,知らず知らずのうちにコミュニケーションに失敗して,仕事が難しくなった同僚と接する機会があった.そういったやり取りの中で,やはりコミュニケーションの仕方が独特だから,違和感を覚えることも少なくないのだけど,間に立って,お互いに信頼関係ができるように吹き込んでいけば,短期的にはうまくいったように思う.

 ただ,そこでの実践も,その場をやり過ごす的な場当たり的な方法だったのだと思う.それでも,行き詰まった状況をある程度自力で打破する経験は,その人にとっても重要だったと信じている.

 一般論的なうまくいく方法は皆目見当もつかないが,小さく前に進んでいくことは可能な気がしている.

 憎しみが連鎖していく前に,なんとか打開策があるとよいのだけれど.

 

 

 連休は白馬岳周辺に行ってきた.

 天候にも恵まれ,宿もよくていい時間が過ごせた.

 猛暑日が続き,西日本の被災地のことが心配.私の実家は被災地域に該当するが,幸いにも洪水のようなことにはならなかったとのことではある.

 一日も早い復興を祈る.