特定不能の何か

医学と社会保障、国家、人生、感じたこと.

本は人をあらわす

 10月になったので、クールビズが終わった。ネクタイとジャケットが好きなので、やっとこの時期になったかという感じ。9月は、暑いよなあと思っていたけど、10月になってずいぶん涼しくなった(昨日は暑かったけど)。

 ナノユニバースでいつもスーツを買っている。年相応じゃないと言われそうだけど、百貨店で買ったスーツはやっぱり太すぎる気がした。それに、一着が高すぎるとちょっとなと思う。パターンオーダーが4万弱からとのことで、お買い得な気がする。記事を選ぶと高くなっちゃうんだろうけど。

 

 

 いつも私に八つ当たりしてくる上司がいる。本人の気分によって、優しかったり八つ当たりしたりと対応が大変である。ダウナー期には散々振り回されて、相当苦しかったので、人事には相談してあって、そういう人なんだよねという理解が(人事の方でも)既にあったから話は早くて、とりあえず周囲は私の状況を理解してくれている。

 彼女が、機嫌のいいタイミングで、本を貸してくれた。

 読んだら、うだつの上がらない男性主人公(学生時代は体育会系、実は実力があるとの設定)が、新しい分野の仕事に配属されて悪戦苦闘する。そこに辛辣な女性コンサルが現れて、主人公にも歯に衣着せぬ物言いで指導をして行く。苦しめられつつも、たくましく成長する主人公、また、腕のある女性コンサルに惹かれていく。さまざまな仕事を成し遂げ、一人前になっていく主人公・・・女性コンサルは、それをみて、立派になったものだと感慨を受け、彼の元を去っていく・・・

 そんなシナリオ。

 ああ、こういうの読んで、楽しんでるんだなと思うと、ちょっと切ない。

 仕事っていうのは、チームとして力を出していくんじゃないかな。そうして、自分一人で対応できない難所を越えていけるのではないかな。あなたの側には、チームが存在しないぞと、しみじみ思ったのであった。

最新型 iPhone をみた

 もしかしたら、手に入れた人もいるのかもしれないけれど。

 新しい iPhoneヤマダ電機でみた。iPhone XS Max とかいうネーミングセンスはどうなんだろう。ものとしてはいいなと思った。狭ベゼルはやっぱなんかかっこいい。単に額縁が太いとちょっとダサいということでもある。ホームボタンがないことも、操作してみると気にはならない。

 私にとっては、FeliCa 機能が最も重要な機能の一つなのだけれど、ホームボタンがない場合は、どうやって Suica を起動するんだろう。いちいち顔認識しないといけないんだろうか。そうだとしたらちょっと微妙かも。

 と思って調べたら、iPhone X 以降は Suica を起動しなくても使えるんだとのこと。それだと電車の定期券を使うのには便利そう。

 あとは、コンビニでは Quick Pay を使ってるんですよね。Suica でなんでも買ってると、家計簿(マネーフォワード)ですべて交通費で計上されちゃうので。そのへんも何らか方法がありそうではあるなと思うと、今持ってる iPhone 7 よりも便利に使えるのかなと。

 ちなみに、端末の値段はなかなか高いですね。一方で、私は2年くらい前に iPhone 7 が発売されたときに、MVNO 移行も合わせて SIM フリーの端末をアップルストアで買ったのですが、そのときもやっぱり端末代って10万近くした。なので、価格ってもともとそんなものだったのじゃないかなという気もします。特に日本の3大キャリアによる端末代キャッシュバックみたいな方法をしていると、端末の価格ってよくわからなくなってくるのですが、その頃から、月4000円の2年分割払い(大体10万円弱)とかそんな感じだったように思います。

 PC よりも長時間触ってる、最も長時間操作しているデジタルデバイススマートフォンだろうから、そういう意味である程度金をかけるのも致し方ないのかなとも思うし、最近の iPhone の機能はやや過剰のようにも思われるので、自分の必要とする機能との比較で、iPhone 7~XS まで、選択肢として考えるんだろうなと思っています。

 あとは、アドバンストな話として、iPhone のいろんな機能を使ってベンチャー企業がいろいろやろうとしてるみたいな話をツイッターで見たけれど、スマホの機能で他の何かをやる(具体的にはよくわからんけど)とか言うことを考えるならば、また変わってくるのでしょうな。

 

 私も少し、スマートフォンにどのような付加価値をもたせるか、考えてみるのもよいのかもしれません。そろそろバッテリがへたってくると思うので、買い替えに向けてアンテナを伸ばしておきましょう。

コンピュータ・サイエンスは教養科目に加えられるべきだ

 パターソン&ヘネシーの教科書を読んでいる。

コンピュータの構成と設計 第5版 上

コンピュータの構成と設計 第5版 上

 

  シンギュラリティの本も Kindle で読んでいる。

シンギュラリティは近い[エッセンス版] 人類が生命を超越するとき

シンギュラリティは近い[エッセンス版] 人類が生命を超越するとき

 

 

 いま、たまたまだけど仕事でコンピュータ界隈に触れることが多い。

 あと、これも思いつきだけど、学生の時から仕事を効率化するのにプログラミングが有効なのではないかと思っていた。

 前者はたまたまのめぐり合わせ、後者は正しいか正しくないかは現時点でわからないけれど。

 

 世の中が、コンピュータから切り離せなくなっているのはそうで、いわゆる昔ながらの学びだけでなく、今の社会、文化を理解し、今後のことを考えるには、コンピュータへの理解が必要なのではないかと思った。

 なので、文系理系問わず、コンピュータの概念を理解することは大切。上に紹介したパターソン&ヘネシーは、コンピュータの歴史みたいなものだ。シンギュラリティの本は、ちょっとトンデモっぽいけど。

 ちなみに、ビッグデータってのも流行りだと思うし、それとともに AI で未来予測とかも流行りだと思う。要は大規模な帰納をやっているんだと思うんだけど、パターン認識と因果関係は別なので、そういった意味で伝統的な統計学みたいなことの理解が必要な気がする。

 コンピュータばかりでもだめで、やっぱり社会の中でどう生かすかとか、ヒトとコンピュータがどう共存するかということが大切な気がしていて、雑に言うと文系っぽい理解が伴う必要があるっぽい。

 

 あと、コンピュータ部門でいうと、日本は中国の後塵を拝しているというか、もはや中国の技術と日本の技術ってほぼ差がなくなっている気がする。中国製だからだめだとか、日本製だからよいとかってのがずいぶん嘘っぽくなっている気がする。Lenovo の PC ももはや IBMThinkPad ではないと思うけれど、完成度がすごい。日本製 PC は DVD ドライブがあるから仕事場で役立つとか言って、レガシーな方法にハードが縛られている気がする。wi-fi 飛ばして無線でやってくれ。

 過去の栄光にこだわらず、国の枠にとらわれない考え方が必要。もちろん自分の国を応援するからこそ、いいと思った Sony 製品とかは買ってるけど、この調子じゃ時間の問題だ。

 

 コンピュータを勉強すると、自由が一歩近づく気がする、というのは言い過ぎかな。あながち間違ってないと思うけれど。

USB Type-C が世界を覆い尽くしてほしい

 ThinkPad X1 Carbon を買った。

 別にこの PC に限ったことではないのだけれど(Mac もそうだけど)、最近のラップトップコンピュータには、接続端子として USB Type-C が用意されるようになってきた。ちょっと昔、iPhone に Lightning 端子が使われるようになったとき、その裏表のないところに感動したのだけれど、Type-C も同様、端子の裏表というものがない。これが素晴らしい。

 Type-C は、裏表のなさというメリットの他に、今まで看過できなかった問題点を解決してくれた。それは、昔ながらの電源用 DC ケーブルからの脱却である。どんなにきっちり収納しても、どうしてもぐちゃっとなるケーブルに嫌気が差している人は少なくないのではないだろうか。

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▲これは、Sony VAIO の DC ケーブル。

 

 ThinkPad にも同様のケーブルは付属している。けれど、USB Type-C は給電にも使えるので、Type-C / Type-C ケーブルと、PD (Power Delivery)対応の充電器があれば、この古めかしいかさばる充電ケーブルからおさらばできるというわけです。

 安心と信頼の Anker 製の充電器とケーブルを買った。

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 これならかさばらない。充電器が白でケーブルと本体が黒なのがいけてないが、充電器の色の制約上仕方ない。

 

 USB-A は長い歴史の中で重要な役割を果たしてきて、Micro USB などといったマイナーチェンジで工夫してきたが、Micro 化したことによる裏表のわかりにくさの増強に世界の生産性の 0.1 % が浪費されていたと思う。USB Type-C の出現により、世界はついに端子の裏表問題とダサい充電ケーブルから逃れることができるというわけだ。

 役目を終えた USB-A には現役引退していただき、一刻も早く Type-C による世直しが図られることを強く望む。

天災がすごい

 今年はやっぱり天災が多いんじゃないだろうか。調べてないけど。

 北海道のあの辺り、数年前に登りに行った気がする。

 そのうち、現地派遣されそう。

 被災された方、何とか頑張って。

 

 

 ちょっと前にチラと、職場の人間関係について書いた。

 まあわかりやすくいうと、女上司の気分の変調に振り回されるタイプのパワハラ。それがあまりに度が過ぎてる気がして、2ヶ月ほど我慢した末、課内の上司と人事に相談しておいた。まあ、切羽詰まったほどではないが、こういうのを確実に上司に伝えておくと、後で何か*1あったときに役立つと聞いてのこと。人事担当の上司がいい人なので、相談はしやすかった。

 こういうのは、組織の中でもうちょいポイントを貯めてやったほうが、切れ味が上がるんだけどな、と悪いことを思っていた。

 

 

 今、我が家には以下のようなガジェットものがある(カッコ内は購入した年)。

英会話をフィリピン人としているんだけど、この前 iMac がちょうどアップデートになってしまい、時間に間に合わなかったので Vaio でやろうと思ったらカメラが半分映らない状態になっていて、SSD の容量もまもなく満杯といった状態だった。

 PC が、4、5年目となって、まだちゃんと動くんだけど心許なさも出て来たところだったので、少し物色していたのだけれど、前から気になっていた Thinkpad がずいぶん安かったので買ってみることにした。

www.lenovo.com

 大学〜今に至るまで、メイン PC は Mac、サブは Win にしていた。それこそ10年くらい前は、Win 機がやたら高く、国産 PC は価格に見合った性能じゃないのと、見た目がひどいなと思っていて、Mac 中心に使っていた。Win で唯一許容できたのが Vaio だったので、サブ機は Vaio にしていた。最近はそうでもないけれど、学会でのプレゼントかで Mac を持ち込めなかったり、PowerPoint を事前に送付しないといけない場合に、MacMS Office ではレイアウトが変わってしまったりといったことが起こっていたので、Win 機をサブとして持っていた。Vaio は見た目もいいし、結構軽いのでよかった。

 私はプログラマでもないし、時折文章は書くけれどコンスタントに長文を書くわけでもないので、特別なスペックって必要ないんだけれど、家電は基本的に最大スペック近くを買うようにしているので、価格とも比較しながらではあるが検討していたところだった。

 転職してから家にいる時間が極端に減って、デスクトップ PC は整理対象だな・・・と思いつつ、まずはサブ PC の候補を考えていた。

 で、久々に MacBook Pro を見に行ったら、最近結構高いんですね。まあ当時(10年前)はずいぶん円高だった気もするから、為替の問題もあるのでしょうが。最大構成に近くすると、30万円くらいしてしまい、うーんとなって。いや、私の使い方でメモリ16GBとかいらない気もするのだけれど。

 で、前々から評判を聞いていた Thinkpad を見てたら、やっぱりずいぶん安い(中華製だからか)のと、MBP よりはちょっと軽いのと、MS Office 込みで20万円以内になったので、買ってみることにした。ちなみに今日は、少し実機も触りに行ってみたのだけれど、案外分厚いのがどうだろうなという感じ。まあ、滅多に持ち運ばないわけですが。

 

 今後、デスクトップ PC は整理、タブレットも実はあまり使っていなくて、iPhone でだいたい何でもできてしまうので、どうしようかなといったところ。2016年は、所得がよかったのもあり、熟考せずの放漫財政だったので、反省するところである・・・

 

 

 そういえば、骨折にかかった医療費の一部が戻ってくるとの通達があった。12万円ほど戻って来て、自己負担は3万円ほどで済んでしまった。この国の公的医療制度はすごすぎる。そして、今年の私の総医療費(保険で出た分含む)は、約100万円になった。申し訳ない。頑張って働くことにする。

 

 

 生きる意味を問い始めると、意味を失った時点で死ぬことになる。

 そうやって、大事なことをパラメータに落とし込むやり方は好きじゃない。巨乳が好きとか可愛いのが好きとかイケメンが好きとかマッチョが好きとか、雑談レベルでならいいんだけど、一回言ってしまうと、「そのパラメータについてより上回るやつ」が出てきた時に困るんだよな。

 きみが好き、でいいんじゃないか。どこが好きかとか言わない。

 生きてるだけでよかったよと私は思う。被災者の方々の無事を祈る。

*1:死ぬとかいうんではなく、辛くなったら異動させてもらったりとか

受傷後半年

 早いもので,右手を折って半年経った.

 

 ここ最近は,変化自体はほとんどないけど,現状としては,

  • 機能の面で,日常生活には問題ない.
  • 曲げるのと反らすのがそれぞれ7割・8割といったところ.
  • 手を突けないので,腕立てはできない.
  • 最大限曲げると痛い.

といったところ.必要なことはできるけれど,痛いのでちょっと不便.

 

 橈骨遠位端骨折で調べると,ボルダリングで落ちて骨折とかってブログを目にするんだけれど,半年も経てばボルダリングを再開されていたりする.まあ場合によるんでしょうが,私の場合だったらとてもじゃないけどできない.引っ張りは何とかなっても落下した時がめちゃ痛いだろうし.

 

 あと,少し後悔しているのが,リハビリをもう少ししとけば可動域が広がったんじゃないかってこと.複雑骨折なのでなかなか難しいのだろうけど,リハビリのやり方をちゃんと聞いとく(そしてそれに基づいて普段から曲げ伸ばしをする)ことをすればよかったなと思った.

 

 それから,怪我をしうるスポーツをやる人は,安くていいので傷害保険に入るといいと思った.まあ,マラソンって普通怪我しないスポーツだと思うのだけど,転んで骨を折ることもあるし.傷害保険は比較的掛け金が安いので,その点でも加入はしやすいと思う.

 

 しばらく,月1くらいで通院をして,来年2月頃に埋め込まれた金属を抜く予定です.

悩みについて

 組織の人間として働くのは思いの外難しいと感じるこの頃.個人プレーでは絶対にどうしようもないことばかりだから,上の人から下の人まで,どうにかまとまって成果を出していかないといけない.いま,上の人が全くゴールを描かず,とりあえず前にだけ進むというやり方をしているので,下の人としては非常にストレス.

 このこと自体はある意味「手本」として,次回に生かそうと思うところだが・・・なるべく建設的な助言をしようにも,あまりにフレッシュマンすぎるのと,チームが完全に分断されていてディスコミュニケーション著しく,狭間に立っても具合が悪いばかりなので,どうしようもない.

 なんとか裏で関係調整をして,被害は最小限に,できることならアウトプットをましにしたいところ.

 

 

 仕事で悩むことは珍しい.久しぶりに悩んだのが上記.

 一方,割と常に悩ましいのが実家のこと.親とはあまり折り合いがよくなく,なかなかうまくいかない.

 私としては,結構頑張っているつもりなのだけど,親の要求水準に達しないというか,いちいちやなことを言われて削られる.

 今の自分があるのは親のおかげという面は多分にあることは事実で,それゆえ親を大事にとか,理屈抜きにそうあるべきよねとか,いろいろと思うわけだけれど,親とやり取りするだけでこんなに疲れるので,この関係を続けていけるのか不安に思う.

 

 

 ものすごく道徳的に不適切な発言をすると,親って子にとっては呪縛だなと思う.いや,そうならないよう努力している親というのもいるかもしれないが.

 ひとつには,曲がりなりにも「育ててくれた」という変えがたい恩みたいなのがあるから.実際は恩でも何でもないことのはずだが,子としてはそれは覆せない事実で,道徳的に抗い難い事実だろうと思う.子のできる範囲で親のためにしてやれば良いと思うけれど,実際はそれほど柔軟な関係でもないように思う.

 ふたつめに,老いていけば病気や介護という負担があること.遠方の親の介護なんて,想像できないのだけれど,子の生活に大きな影響を及ぼすだろう.諸先輩がたはどうやって折り合っているのか知りたい.

 

 親の言う,「育てたんだから,その後の親の面倒くらい見て」というのは,覆せない命題なのだろうか.

 私自身は,親になることはないだろうけれど,仮に親の立場なら,まず子の近くかつ,干渉しない程度の距離で生活できるよう努力する.生活の面倒については,子の判断ではあるが,金で解決(施設含む)するかどうかについてあらかじめ考えておく.面倒をみるために,子の生活に制限がかかって欲しくない.

 子育ては,したことないけど多分,自分にとっては楽しみだと思う.私が思うところでは,親の方こそ子に感謝するんじゃないだろうか.

 

 親子という,変えようのない関係性とうまく付き合うには,親も子も,お互いに無限に責任を持ったり,干渉したりしないあり方を作り,維持していくべきなんじゃないだろうか.

 子,アホだからアホなことをするものである.必要最低限の監督義務以外を親に負わせるべきではないのではないだろうか.少なくとも,過剰な社会的な制裁が必要だとは思わない.虐待という現象にも注意が必要だと思う.

 子の人生は,やはり子のものである.親が責任を持とうと思うことが無理筋であり,どのような人生もその子が引き受けるしかない.最低限の教育としつけがあればよいのではないだろうか.あと,しっかり褒めてあげて欲しい.

 親,現代の日本は医療と介護の多くの部分が社会化されている.家族で過ごしたいというのはかけがえのない価値だし,それを可能な限り実現する仕組みも存在するけれど,やはり子の生活に影響を与えることは不可避だろう.平たく話し合いを持ち,子に引き受けてもらう範囲を決めて,社会に引き受けてもらわざるを得ないときはそうして欲しい.そういう意味で,小さいうちから家族で普通に話ができるような関係を作っておくことが大切.

 

 親子,家族,夫婦,パートナーという関係性が,もう少し柔軟であってほしいと思う.固い関係性は,いろいろとしんどい.

 それでも,ぼちぼち関係修復をやらないとなと,気が重い.