特定不能の何か

医学と社会保障、国家、人生、感じたこと.

後輩の指導

 ここ最近,メンタルやられた後輩の指導をやっている.

 メンタルやられたのはだいぶ前で,一時は話題になっていたけど自然と話題にも上らなくなって.面倒の比較的よい部署でしばらくステイして,出勤はしていたけど,同僚とはほとんど交流のない状態だった.上司は,あくまで形式的なフォローのみで,彼自身の立ち直りや今後のことは考えてはおらず.同僚も,何となくスルーという感じで,数ヶ月過ぎていた.
 わたしの性格上,面倒を見てあげたいなという気持ちが急に湧いて,3か月くらい前から彼と話し合って,どうやって上司に話を切り出して,次のステップに進めるかを作戦を立てていた.いろいろやっかいなことはあったけれど,ようやく今月から,もう少し復帰らしいことをやっている.

 わたしはひとの人生がついつい気になってしまう.要はお節介な人間.メンタルをやられることは現代社会においてよくあることだと思うけど,お節介人間みたいなのがいればちょっとは救われることもあるんじゃないかと,自分で自分を褒めている.

 残念ながら,わたしの立ち回り的には「キミならそれくらいできて当然」てな感じで,特段褒められたり,認められたりということはない*1のだけれど.そもそも評価をして頂いているところがあるので,何かをしても褒められることって少ない.
 褒めてもらいたくてやっているわけじゃないんだけど,やっぱり褒めてもらいたいよなと思う.

 そんな気持ちを隠して,今日も誰かを思いっきり褒めるようにしています.

*1:後輩とはいえ,普通はメンタルのフォローって責任ある上司の仕事なんじゃないかと思うんだけど.