特定不能の何か

医学と社会保障、国家、人生、感じたこと.

激論

 9mon 経由で知り合った年上の方と,今日は LINE でまさに激論を交わした.ほとんど喧嘩に近いくらい.

 私自身が,本当にゲイなのかということについてかなり疑問を呈されて,ゲイとして生きることを再検討すべきだという内容.まあ,痛いところを突いてくるなと思った.ゲイとして生きる,つまり主にはカミングアウトをすることについて,大きなリスクがあるということなどなど.

 まずひとつめの,私自身の性嗜好自認については,確かに未だにわからない部分が多くあって,女性と付き合った経験や,思春期以降に男性にそれほど惹かれなかった経過からは典型的なものではないのだろうと思う.ただ,これはよくあることなのだけど,人の感じ方,症状の出方というのは意外にも多様で,必ずしも典型的な現れ方ではないことがある.これは発達障害関連で特に言われていて,その特性の濃淡は「スペクトラム=連続体」として認識したほうが現実に合うことがわかっている.自分の感覚では,ヘテロ,バイ,ゲイというのは必ずしも明瞭に線引きできるものではなく,女性と対峙しても全く勃たないひとから,隠れゲイとして妻子を持って暮らしているひともいることからも,妥当な認識だと思う.自分自身が,濃厚にゲイの性質を持つかどうかはまだ疑問なのだけど,明らかに女性を好きになれないので,ゲイ寄りだと自認して良いんじゃないかと思っているところ.

 ふたつめに,カミングアウトのリスクについて.これは確かにそうで,仕事に支障をきたしかねないというのが,残念ながら現状だと思う.カミングアウトは,自分と他人でそれぞれに意味があると思うけど,おそらく多くの場合は自分へのけじめみたいなものがある印象だ.ただ,そういう行動原理であっても,その結果少なからず他人に対しても影響するし,身内ならともかくも取引先だったり,顧客だったりにも影響を与えてしまうことについては自覚的である必要はあるだろう.
 ただ,それでも私たちは,世の中変わっていくと信じないとやっていけないところがある.私のようなバブル崩壊後世代は,日本はダメだと言われ続けて生きてきたと思う.それに,この先だって明るい未来が待ってると手放しで思える状況でもない.そんな中で,希望的観測にいくらかすがって生きていくのは仕方のないことだと思う.きっと時代は変わると思うし,なんなら自分もその一助となりたいくらいの気持ちはある.路上でデモやるとか,散発的なカミングアウトなどではなく,もう少し用意周到に,世の中が変わるようなことをやれたら面白いなと思っている.

 

 そういう感じで喧嘩をしまくって,最終的にはお互い距離を置くことになってしまった.世代が違って感じ方も違い,面白いなと思っていたのだけど.
 非常に良い経験になった.