特定不能の何か

医学と社会保障、国家、人生、感じたこと.

寝息を聞きながら

 ロキソニンがよく効いて,食事も摂れたので安堵した.
 普段の仕事でも,熱自体であまり慌てる必要はない,というふうに説明するが,やはり身近な人が熱で辛い思いをしているとき,何かしてあげないとと思うのがそばにいる人の素直な気持ちなんだなあと実感する.親子でも,男同士でも,人間として基本的な感情としての思いやりみたいなものがあるのだろう.
 自分は比較的,病んでる人へのシンパシーがしっかりある方だと思っていたけれど,やっぱり大切な人と過ごすというのは良い経験だなあと改めて感じた.

 

 今日,付き合って3日目が一緒に暮らして4日目.*1
 ゲイの付き合いっていうのは,しばしばセックスについて言及されるっぽいけど,あんまりあけすけにそれを述べていくのは,なんというか露悪的というかでやめといた方がいいように思えてきた.

 ただ,少し一緒に過ごしていて,付き合うっていうことと友達として関わりがあることの違いってなんだろうということがわからなくなってきた.男同士と,異性間とでどうかとかもわからなくなってきた.
 私の中では,「一緒に人生をやっていく」ということなのかな,と思うけど,判然としない.

 愛とかなんとかいうこともあるけれど,私ってほら,何にでも愛情持っちゃうし.小動物とか飼い始めたら,ありったけの愛情を注ぎ込んで人間と関わらなくなっちゃうかもしれないタイプだし.愛し合ってない夫婦とかもいる(自分の両親はそうだったかもしれない)し,愛がなくとも暮らしていけるという元も子もないことも言えちゃったりはするだろう.
 私がそこで寝てる彼を,愛していないかというとそんなことはないが,愛とは何か,同性間のそれはどういう感じなのか,なんだかよくわからない.また,愛と性欲をうまく分離できない気もする.

 また,友達同士でもセックスするのが現代らしい.セフレという概念があって,私はその概念の世話になったことはない.だけど身近に,例えば職場でもそういう関係,ないし一夜の関係的なのになっている人は,男女問わずいるようだ.なので,肉体的交流の有無は,誰かと特別な付き合いがあることの証明にはならないようである.私自身は,例えば純潔とかを求めるタイプではない(心がここにあれば)ので気にしないが,彼は「ゲイってそこらへん適当で,すぐに誰とでもやるから,そういう人は嫌」らしい.まあその気持ちもわからんではない.だが,ヘテロも大概浮気とかしているから,ゲイ限定での話じゃないとは思うけれどな.

 やはり自分にとって一番しっくりくる感じは,「一緒に生きていく」こと.これこそが特別な付き合いだと思うけれど,どうも漠然としているように思った.
 愛情は当然あるが,私はいろんな人に愛情を持ちうるのでその有無はあまり判断材料にならなそう.それから,スキンシップはあってほしいなと思う.ただ,相手の体を独占できる権利,みたいな感じはちょっと違和感があるかな.

 

 私たちは今,付き合っている.ただ,それを実証するのは難しいなとつくづく思った.だけど,病気のあなたを看病しているのは,「一緒に生きている」感じがして,私は嬉しいよ,とこっそり思っている.

*1:告白したのが日付変更してからだったので