特定不能の何か

医学と社会保障、国家、人生、感じたこと.

1週間終わり

 今週も終わりましたね.お疲れ様でした.私は明日も仕事があるのでもう1日ですが,きっとそんなに忙しくないさと信じています.

 

 今週は,何と言ってもお付き合いを始め,いきなり我が家で6日くらい一緒に過ごしたことが大イベントでした.連休中は,いろいろと出かけたり,我が家でご飯を食べたりしました.平日はいつも通りにお弁当を作ったり,彼が発熱してダウンしていたので看病したりと,忙しくしていました.

 自分の立ち位置や生活を考えると,社会的には女性っぽいタスクをこなしていたように思います.男同士で暮らしていて,逆に自分が女性っぽい立ち位置であることを強く意識し,ふんわり葛藤を覚えたのはなかなか新鮮な感じでした.ただ,あくまでもお互いに男ですから,私が女役をやっているわけではないし,彼もそれを望んでいるわけではないので,これまでの人生の中で当然と思っていて,自分の中に染み付いていた「性役割」に縛られているんだなあと,改めて感じたわけです.

 以前の記事に書いた通り,私はそれなりに長い期間女性と付き合ったことがあったんですが,やはり自分の性格上,相手の部屋を片付けたり,料理を振舞ったりということが多かったように思います.で,その時の相手はそういうことを得意とはしていなかった気がするので,なんとなくぎこちない感じがありました.

 今の彼と過ごしていると,次にどこへ行こうかって決めるのも,おしゃべりの主導権を握ってくれるのも,相手なんですよね.私は,どちらかというとどこかに二人で座ってたり,話さずに同じ風景を眺めていたいタイプ.もちろん,社会人として執るべきリーダーシップはとりますし,どちらかというと同年代の中でもリーダー役が回ってきたり,自分としてもマネジメントが得意な方だと自覚していたりします.ただ,プライベートではそういう役回りでいたくない,というのがあるんですよね.

 おそらく時間をかけていろんな婚活をすれば,女性とも付き合っていけるんだろうと思いますが,大幅な譲歩と我慢を強いられるのだろうなと予期せざるをえません.それによって得られる「普通」という称号と,うまくいけば子を持てるというメリットは確かに大切なのですが,自分自身が自分のペースでやれる生き方とは違うものになりそうだなあと思うところです.

 そう考えているとやはり,私自身は誰かと生きていくことが付き合い・結婚だとして,相手の性はあまり関係ないのだろうと思います.ただ,ランダムな人と人との出会いの中で,男性といたほうが自分らしく生きていけそうな気はするなという感じです.

 そんな気持ちで人と付き合うことは,果たして許されることなのかと思いますが,今しばらくは,好きならオッケーという気持ちと,最大限の愛情表現で,彼と付き合っていこうかなと思っています.