特定不能の何か

医学と社会保障、国家、人生、感じたこと.

拒食症の病理

 「アイデンティティの確立」という文言を,もしかしたら中学生くらいの義務教育の頃から,なんとなく聞かされた記憶があるかもしれない.内容はほとんど忘れてしまったけれど.

 

 拒食症の病理は,誤解を恐れず極めて単純化していえば,「体重計の数字,あるいは痩せているという状態が自分のアイデンティティの全てになる」状態だと思う.当然,例外はたくさんあるのだけれど.

 アイデンティティというのは,これまた大雑把に言うと,自分を規定するいくつかの要素.社会人になるとわかりやすいけど,例えば,仕事における自分の立ち位置(管理職・中堅・駆け出し),自分の(一応の)特技,持ち味,趣味や自分が楽しいと思える過ごし方,経済的な自立,自分の部屋(居場所として),同僚や友人との関係,など,いろいろと組み合わせていけば「私ってこんなもの」という形が見えてくるはず.

 思春期は,親への依存状態から友人関係へのシフト,学校の先生との関係,社会としての学校の生活,それでも親からは逃れられない不自由さ,経済的な不自由さ,など,アイデンティティというものが認識されつつも,自分と他人との明瞭な線引きができず,揺らぐ時期.

 大人になって振り返ると,10代というのがいかに不自由で,見通しの立たない暗黒の時期だったかとぞっとする*1

 

 食欲という本能をコントロールし,体重という数字を自己の管理下におくことで,自分が自由自在にコントロールできるものを作り出すことが拒食であると理解はできる.

 裏を返せば,極めて脆弱なアイデンティティを保つための拠り所が拒食行動だということができるのだそうだ.

 

 世の中で,バカみたいなダイエットが流行る.それ自体は社会の問題ではあるのだけれど,そういうのに煽られて過剰な拒食をしてしまうことは,実はその人自身が抱える病理であって,社会に責任転嫁することは解決策にはならない*2

 

 と,いうのは,拒食患者本人ではなくて,その支援者が理解すべき拒食の仕組みのような気がする.

*1:当然,いい思いをした人だっているだろう.恋愛とか.

*2:「その人自身」と言ったけれど,実際は養育環境の問題だったり,学校の問題だったりがあることも少なくなくて,その人自身の強さ/弱さと周囲のサポートの強さ/弱さの組み合わせによって,状態が悪くなるか,切り抜けられるかの瀬戸際なのだと思う.