特定不能の何か

医学と社会保障、国家、人生、感じたこと.

フェイスブックこわい

 夜勤中です.

 

 表題の件ですが,皆様フェイスブックをおやりになっている方は多いのではないでしょうか.20代はまさに周囲の結婚ラッシュで,結婚式画像や,お子さん誕生などなど,独身にはつらいお知らせがたくさん舞い込んできます.また,30歳にもなってくると,そういう報告も一巡して,地味に離婚してたりとまあ,いろいろな人生模様が垣間見られます.

 つい先日も,大学の同級生の結婚の知らせがタイムラインに流れてきて,おめでとうと思う反面,心がズキッとしました.

 

定型的な幸せ観

 ゲイだなあと思う前に見るのと,その後に見るのとでは,ずいぶんダメージが違うなと感じます.結婚というイベント自体に,特段の思い入れはないのですが,やはり子どもが持てないというのはつらいなと思いました.血縁などにもこだわらなくていいかなと思いますが,今の仕組み的にはうまくいきそうにありません.

 男女が付き合い,結婚し,子どもを持つ,みたいな「定型的」なライフプランを基準として,それが実現できないことについて,悲しいと思うのは,自然な気はしますが,どうも不自由な感じもします.私自身にとっての幸せと,そういう社会的に「あるべき姿」のギャップに悩むというのは,よくある話に思えますが,そこを乗り越えられるかどうか.

 そういうことを改めて,ぐさりと考えさせられたフェイスブックはこわいです.

 

人生の岐路として

 インターネットを見ていると,「ゲイパパ」という方々もおられて,ヘテロセクシュアルとして家庭を持ちつつ,ゲイとしての活動(主には体の関係?)もされている方もおられるみたいです.

 そういうあり方は,自分自身の価値観に基づくと「無し」です.どうがんばっても,奥さんを納得させられるいいわけが出来ないと思いますし.

 これに関しては,ゲイ/ヘテロの別なく,不倫をそのカップルがどうとらえるかの話に過ぎないと思うので,一般論的な答えはないのでしょうが,自分自身の道徳に従えば,複数の人と同時に関係を持つ生き方はできないなあと思うわけです.

 なので,まさに岐路というか,どちらかに進むしかない,という気がします*1

 

今の感情の過熱感も大切に

 なお,彼と過ごすのは楽しいんですが,付き合って1か月以内ってかなり過大評価(?)する時期だと思うので,早急過ぎる判断はしないようにしつつ・・・ただ,人を好きになるのって相当久しぶりなので,加熱した感情も楽しみつつ,という感じで.隠れたところで手を繋いだり,キスをしたりというの,本当に何年ぶりだろという感じ.

 今,私が感じる感情は紛れもなく幸せと言えるけれど,それをこのまま大きくしていっていいのか,「定型的な生き方」を試みるべきなのか,少し時間をおいて,再検討する必要がありそうです.そんなことを私が考えていると知ると,彼はきっと悲しむと思うのですが,よく考えて答えを出さないといけないと思います.

*1:ヘテロとして生きて,途中で別れてゲイとして生きる,みたいな裏技は取れそうですが,手続き的にかなり面倒な気はします.