特定不能の何か

医学と社会保障、国家、人生、感じたこと.

医療不信の周辺

 新しい近藤本が出版されたとのことで,界隈では話題のようですね.

 私個人としては,医学的根拠が極めて乏しい(あるいは純粋に正しくない)議論が多いと見ていて(読んでませんが・・・),おすすめする本ではないので,リンクを貼ることは差し控えようと思います.本のタイトルは,「ワクチン副作用の恐怖」です.

 

 現代の医療において,基本的に「確実」「100%」ということはほとんどなくて,大部分が「効いたり効かなかったりする」「確率的事象」「あらゆる医療介入に何らかのリスクが伴う」ことが前提としてあります.

 インフルエンザウイルスの予防接種を考えてもそうだと思いますが,「予防接種を打ったのにインフルエンザになった」というご経験や話を聞かれたことがあるでしょう.これはそもそも,予防できるかどうかはもらうウイルスの型,免疫のつきかた,全身状態,などによって予防効果がある場合ない場合がいずれもありうるのが大前提です.

 そういう,効果が不確実だけれども,「多くの人に使うと,全体として一定の割合で予防効果がある」ことがわかっているものが,いま使われている予防接種です.

 

 このような不確実性をうまく説明するのはかなり難しいです.なぜなら,予防接種を打った人にとっては,「自分がなるか,ならないか」が問題であり,たとえ周りの人に恩恵があっても「自分に」効果が感じられなければ,「効果なし」と判定されてしまうからです.

 また仮に,全国民に予防接種を義務化する,ということを仮に考えてみると,その予防接種としての効果は最大限に得られると思います.しかし,予防接種にも少ないながら「リスク」が伴うので,拒否する権利もあるべきだ,とする考え方も当然あるでしょう.結局,予防接種に関する制度の考え方としては,定期接種の予防接種は,各自治体で「費用を完全に負担してあげることで」接種を推奨していますが,拒否は可能であるという状態になっています.

 

 医療という介入方法では,全員が恩恵を受けることはそもそもできません.しかし,それが(全体として)効果的である根拠が積み上げられつつあります.医療不信は,このような避けがたい,医療から恩恵を受けられなかった人に芽吹いていくのだと思います.コミュニケーションにより,不確実性にまつわる不安と不満を解消することは極めて難しいと思います.

 医療不信を煽る形でお金儲けをしようとする姿勢は無責任で卑劣としか言いようがないと思います.ただ,方法としてこのようなやり方を制限することは難しいと思います.ひとりひとりが医療についての認識を深めていく必要があるんだろうなと思います.

 

 とはいえ読んではみたいのですが,古本屋でも覗いてみますかね.