特定不能の何か

医学と社会保障、国家、人生、感じたこと.

病気と人生

 今日は,血友病の勉強会に参加してきました.

 血友病ってのは,簡単に言うと血が止まりにくくなる遺伝子疾患で,性染色体の一部に原因遺伝子があって男性にしか発症せず,日本には約5000人の患者さんがおられ,今血薬はないですが症状を止める(出血を止める)薬は何種類かあって,基本的には一生付き合う病気です.有名人がいるとイメージしやすいのかもしれないですが,数が少ないからか探してもあまりヒットしません.ヴィクトリア女王の家系がそうだったとか,理科の授業で習った記憶もあります.また,いつかの高校選抜の選手も,血友病だったとか*1.無治療だと,ささいなことであざができて(あざ=皮下出血),関節が腫れたり(関節内出血),頭を強く打つと頭蓋骨の中で出血を起こしたりもします.あざや関節出血は見た目の問題,痛み,あるいは関節が曲がりにくくなるなどの障害を残したり,頭の出血は想像するのも怖いですが.そのような問題があって,日常生活に強い制限を受け,特に幼少期や思春期にそれぞれ苦労をして過ごすことが多いと思います.

 治療薬は,かなり進歩していて様々な薬が利用可能です.基本的には,体内で作れない血を固める成分を「合成」して,外から補充する治療です.合成と簡単に言うと,工場か何かで大量生産できるイメージがあるかもしれませんが,実際は,血液の凝固に関わるたんぱく質を遺伝子組み換えの細胞によって生成するという過程なので,最新の技術が使われているようです.なので,当然高いです.

 今回聞いてきた話の協賛企業は B 社でしたが,ここが販売している遺伝子組換え型血液凝固第VIII因子製剤は,例えば30キロくらいの小学生のお子さんの「1回投与」分の薬価が約5万円.この薬は週に3回投与が基本なので,ひと月に12回,月の薬価は60万円ほどになります.これが一生涯続きます.健康保険連合会の高額レセプトの報告では,上位に血友病がいかに多いかがわかります.*2

 

 血友病に限りませんが,世の中にはいろんな病気があります.

 私たちの人生において,病気になるかならないかは,多くの場合「運」としかいいようがありません.血友病のような,遺伝子疾患かつ,遺伝疾患であるようなものの場合,子ども自身の不摂生とか,親のライフスタイルとかは関係なく,発症する人はそうすべくして生まれる,というしかない.たまたまその病気になったのが他の誰かだったけれど,すべての人が病気になりえたんだと思うと,他人事ではないなあと思います.また,そういう中で「病気を限りなく根治にもっていける薬」があったとして,それはとても素晴らしいことだと思うし,お金に代えがたい価値があると思います.日頃から,病気で苦しむ患者・ご家族と接しているとなおさら,その苦しみから解放される薬ができるということは本当にありがたいことだと思います.

 

 一方で,我が国の健康保険制度は,すべての国民が加入し,「リスクを持たない人が持つ人の負担を肩代わりをする」という性質でもって成り立っている制度です.つまり,病気を持たない人にとっては純粋に負担でしかないし,それは否定のできない事実だと思います.そうだからこそ,新しい高価な薬にメスが入っている*3し,それ自体は必要なことなのかなとも思います.

 ただ,医療費が完全なるお荷物だと言われて蔑まれる世の中の風潮は,一度立ち止まって見直されるべきだなと思います.というのも,医療にかかること自体が「人生の終わり」みたいに考えている人が増えつつあるんじゃないかという危惧があるからです.そうやって,病気の人を許容しない社会というのは,望ましいあり方ではないですし,冒頭に書いた通り,病気とは「運」の面が強くて,「運悪く病気になった」人が,そこでゲームオーバーみたいな気持ちになるのは,生きづらすぎるんではないでしょうか.

 

 子どもたちが病気となんとか折り合いながら生きている様子をみると,彼らの自尊心を保てる社会を作ることが必要だなと強く思います.もちろん病気はない方がありがたいけれど,確率論的にゼロにできない以上,それと付き合う方法を模索すべきだと思います.

 

 勉強会とは全然違う方向で,頭の中で盛り上がっていましたが,上のようなことをもうちょっとアカデミックに詰めたいなと思うところでしたw