特定不能の何か

医学と社会保障、国家、人生、感じたこと.

当たり前と想像力

 病気について様々考えることはあるのですが,当事者になると改めて,考えてきたことを見直すきっかけになります.

 やはり人間,「違う立場が想像できない」という陥穽に嵌りやすいようなので,日々注意しないといけません.

 

 学校を休む主要な原因は,風邪だったりいろんな原因による不登校だったりするでしょうが,それらが「どの程度自分の管理で何とかできるか」をよく考えるべきだと思います.

 幼少時の免疫力の発達段階も影響するでしょうし,そもそも他人が体調管理してない(風邪なのに無理やり登校する児童もゼロではないでしょう)場合もあるでしょう.そういった自己管理の範疇を超えたケースは容易に想像できます.

 さらには,日本で暮らしているとわからないことが多いですが,生まれながらに病気を持つ子というのもいますが(小学校あたりから完全に隔離されて教育を受けるので,あまり接する機会がないだろうと思います),彼らは「肉体と精神の評価」の俎上にも上らないわけです.

 

 健康であることは価値がありますが,一方で「健康でいられることはあまりにもラッキーなことだ」「健康を損なうのは,自己責任の範疇を超えて不運としか言いようがないことが多い」ことについてもう少し想像を働かせる必要があるでしょう.

 

 そう考えると,「健康であることが前提とされる社会」って不平等だなあと思うわけです.皆勤賞は,ラッキーセブンみたいなもので,なればラッキーという程度しか価値はないんだと思います.

 

 私の怪我は,正直自業自得(?)な面も多分にありますが,でもやっぱ,アンラッキーだったなと思うわけです.