当たり前と想像力
病気について様々考えることはあるのですが,当事者になると改めて,考えてきたことを見直すきっかけになります.
やはり人間,「違う立場が想像できない」という陥穽に嵌りやすいようなので,日々注意しないといけません.
「皆勤賞なんか無くせ」論をツイートで見かけたけど、それは「運動会で順位をつけるのをやめましょう」論と同じに見える。毎日欠かさず学校に行ける肉体と精神は評価に値するものなので素直に褒めたら良い。評価基準が多様でないことを問題にすべきなのに、評価そのものをなくせと言ってしまうのは
— Taketo Sano (@taketo1024) February 27, 2018
学校を休む主要な原因は,風邪だったりいろんな原因による不登校だったりするでしょうが,それらが「どの程度自分の管理で何とかできるか」をよく考えるべきだと思います.
幼少時の免疫力の発達段階も影響するでしょうし,そもそも他人が体調管理してない(風邪なのに無理やり登校する児童もゼロではないでしょう)場合もあるでしょう.そういった自己管理の範疇を超えたケースは容易に想像できます.
さらには,日本で暮らしているとわからないことが多いですが,生まれながらに病気を持つ子というのもいますが(小学校あたりから完全に隔離されて教育を受けるので,あまり接する機会がないだろうと思います),彼らは「肉体と精神の評価」の俎上にも上らないわけです.
健康であることは価値がありますが,一方で「健康でいられることはあまりにもラッキーなことだ」「健康を損なうのは,自己責任の範疇を超えて不運としか言いようがないことが多い」ことについてもう少し想像を働かせる必要があるでしょう.
そう考えると,「健康であることが前提とされる社会」って不平等だなあと思うわけです.皆勤賞は,ラッキーセブンみたいなもので,なればラッキーという程度しか価値はないんだと思います.
私の怪我は,正直自業自得(?)な面も多分にありますが,でもやっぱ,アンラッキーだったなと思うわけです.