特定不能の何か

医学と社会保障、国家、人生、感じたこと.

夢語り

 やっと長い1週間が終わりました.

 今週から新生活が始まりました.諸般の事情で初日からポストを頂いて,部下が二人いる状態.大変小さな部署ではありますが,今ニュースを騒がしている領域にも少し触れていて,機動的な対応が求められるように思えますが,しょぼい引き継ぎのみでどうしよう・・・という感じ.とりあえずアクティブな仕事が少ないので,前年度までの資料を読み込んだり,入職の諸手続きをしたりしていました.

 週の後半は,合宿形式での研修に参加し,新卒の若いひとたちと混じって,「あるべき職業人像とは?」などといった,あまりに青々しいテーマについて真面目に話し合い,夜は部屋に酒を持ち込んで飲み,といった様子で,童心に帰る(?)思いでした.

 本日やっと解放されて,久しぶりに家で過ごしています.

 

 

 夢語りというのも少し違うのですが,どうも世の中には,「もうちょい足元を見なさいよ」といってやりたくなるくらい,天下国家や,世の中の本質,あるいは正しさなどについて語りたい人間が一定数いるようです.

正義や善を掲げてよい社会を作ることに、一種の快感が得られる一群の人がいるものです。それって一種の変態のような気がするのですが、まあとにかく、いるものです。そして彼らは一生懸命、正義や善を争います。

http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2012/03/4-92f8.html

 これは重々自戒しないといけないんですが,私自身こちら側の人間だろうなと思います.ただ,やはり社会人あるいは自立した生活者として数年過ごす中で,ワークスタイル含めで生き方が現実に寄り添ったものになってきた感じはありました.一方で,そういう状況を「くすぶっている」と認識している自分もあったのが事実です.

 ここ数ヶ月は再び意識高い本を立て続けに読んできたこともありますが,今回の研修で改めて,こういった"崇高な"思考が呼び起こされた感があります.

 

 大きな視点で考えること自体は,重要なのだと思いますが,普通の一個の人間として,プリミティブで素直な感覚を失わないように,心に留めながら過ごしていきたいと思わせられる体験でした.

 

 

withnews.jp

 本質を見つめていけば,LGBT が正しく社会に理解されるだとか,受け入れられるだとか,従来的な意味での結婚ができるだとかということは,お題目以上の意味はないのだろうなと思っています.

 しかしそれでも,仮に若い LGBT たちが悩んで心を病んだり死を選んだりする現状が存在する以上,何らかの方向に社会を振ってみないといけないのではないかと思います.また,本質とずれてしまった支援団体も,一方では LGBT ブームの良い面を担っているのは事実だと思いますし,お悩み相談所の役割を果たしているようにも見えます.

 どんな領域も,本質を捉え続けることはなかなか難しいでしょう.一方で,苦し紛れの策や,ちょっとずれたやり方も,方向性を見守りながら試みる余地があってもいいのかなと思いました.

 なので,彼流にいうならば,「カニカマだってないよりあったほうがいいじゃん」ということになるでしょうか.何だか負けた感じがするので,もう少しいい表現を出したいですが,残念ながら思いつきませんでした.

 

 

 ここ最近は,少し考え方が過熱気味に思えます.あと,文章をとっとと書きすぎている気もします.

 殴り書きということで,適当に見守っていただけますとありがたいです.