特定不能の何か

医学と社会保障、国家、人生、感じたこと.

私と社会

 東京でのレインボーなイベント,個人的な旅行,などなどで,プライベートにおけるゲイの成分が高まる連休でした.

 ゲイ初心者?の私ですが,そういったイベントや,あるいは二丁目を歩くなどといったことを,素直かつ深く楽しいと感じるのは,初めて触れる世界への興味という面もあるでしょうが,それ以上に受容されていると感じるからのように思います.「二丁目を楽しく感じるなんて普通じゃないんじゃないの」と言われて,確かにそうかも(客観的には,眉をひそめるような様子の店も少なくないわけで)と思うわけですが,それ以上に,同種の人間がたくさんいるってことが可視化されることで,心が落ち着く面が確かにあるんだという気がしています.

 裏返して言えば,普段はゲイであること自体に何らかの負い目だったり,隠さざるを得ないこととかで,心理的な負担になっているんだなと思うと,それもまた興味深いです.

 

 

 「私」がどうありたいか,とか,「私」自身の体験・経験を重要視するのは大切だし,特にこれは私自身にとってもかなり欠けてる部分であり,必要な要素なのですが,それとはかなり意識して線引きする必要があるのが,社会について語ることだと考えます.

 前述した通り,心理的負担という面で,社会的に自立した私自身でも潜在的とはいえ割と強く感じている負担が,例えば若い子・社会的に不安定な人々であれば,その辛さは想像できないほどでしょう.

 私はそういったことについつい思いをはせてしまうので,辛くならずにすむ社会がいいなあと思うので,多様性が認められるべきだと思うし,同性婚は認めていくべきだと思っています.これは,完全に想像に基づき,また,私自身の規範に基づいた意見として,そういうポジションを社会が取るべきだと思っているんです.

 

 先の東京レインボープライドで,英国のブースを見かけましたが,そこではプラカードに

The UK is PROUD to support diversity and inclusion.

と表明されていて*1

,飾った言葉ではないけれど,素晴らしいなとしみじみ思いました.パレードは,見方によっては単なるお祭り騒ぎ,もしくは,妙な半裸・コスプレのゲイが出現してイメージを毀損するなどと言われたりはしますが,そんなお祭りでさえ,参加してみると何となく受容されたというか,落ち着く印象を抱かせてくれるよさがありました.

 

 今日の代々木公園は,人でごった返し,奇抜な格好で歩く人も多く,出展企業にもいろんな思惑があったのでしょうが,そんなギラギラした中で,名状しがたい安心感を感じさせたのは,まさに多様性を許容する雰囲気だったんだろうと信じています.

 

**

 

 いろいろなことを思う連休でした.