特定不能の何か

医学と社会保障、国家、人生、感じたこと.

世の中はお盆

 あっという間に世の中はお盆,そんな時期.

 前回の出張以降,忙しい.いや,実のところあまり変わりはないのだけれど,平日,休日共にやることが詰まりに詰まっている.それはいいことである.

 

 

 右の橈骨遠位端骨折をやってから半年が経った.今日は久しぶりの受診をした.

 今回の受診が久しぶりだったのは訳があって,春からの転職にあたり,東京の病院へ紹介してもらったのだけれど,人工物が入った状態なのでいつかはそれを抜かなければならないので,それまでは通院が必要である.多くの場合は半年〜1年程度.今回は,1年程度してから取り出しの手術をするとのことで,それまでは定期的に通院をすることになっていた.「(取り出しの手術は)どこでもできますから」とのことで,自宅近くの病院を紹介してもらったのだけれど,結局そこでは手術できなくて(正確には,取り出しのような急がない手術はやっていない),再度紹介となって,紹介状代を二重に徴取されるという残念な結果.しかも,仕事も休めず,今に至るという感じ.

 手の方は検査上は変わりなし.通院を継続.

 実際の生活上は,問題にはならないが,相変わらず完全に前後に曲げられないのが地味に辛い.手をつけないので,ちょうど腕立て伏せをするような手の形が取れない.こけて手をつくと非常に痛いので気をつけている.

 力はほぼ十分に出るので,あとは可動域だけといったところ.

 

 

 休みを2日取って,彼と出かけた.

 山に登った.天気は悪かったけど,私の一押しの山だったから,しっかり槍も見せてくれたし,朝日も見れた.

 

 あと,相手が10月で転勤になることになった.

 結構大ダメージ.しかし,仕方がないことである.

 高速バスで行き来するのは,大学生以来のことである.幸い,LINEを使うと電話はただなので,ありがたいことではある.

 はてさて,こういう時,どういう気持ちになるのが正解なのだろうか.「これを機に,お互いにステップアップの時間にしよう」みたいな表明,非常にダメな気がするが.

 

 

 お盆だというのに実家にも帰らず,勝手に過ごしてしまった.

 ただ,実家との折り合いがそれほどよくない(と思っている)自分からすると,お盆は実家へ帰らねばならぬという考え方は辛い.

 親のこともあまり良く思えないのだけれど,それもいろんな呵責があって辛いところ.

 ま,好き嫌いと,通り一遍の感謝の表明や儀式の参加をすべしということは,もう少し切り分けて努力すべきだなと思う.病気をして感じたことも,喉元過ぎればなんとやらってやつだ.

 とはいえ,よりにもよってすげーむかつくタイミングでメールを寄越してくるのもやめてほしいけど.