特定不能の何か

医学と社会保障、国家、人生、感じたこと.

悩みについて

 組織の人間として働くのは思いの外難しいと感じるこの頃.個人プレーでは絶対にどうしようもないことばかりだから,上の人から下の人まで,どうにかまとまって成果を出していかないといけない.いま,上の人が全くゴールを描かず,とりあえず前にだけ進むというやり方をしているので,下の人としては非常にストレス.

 このこと自体はある意味「手本」として,次回に生かそうと思うところだが・・・なるべく建設的な助言をしようにも,あまりにフレッシュマンすぎるのと,チームが完全に分断されていてディスコミュニケーション著しく,狭間に立っても具合が悪いばかりなので,どうしようもない.

 なんとか裏で関係調整をして,被害は最小限に,できることならアウトプットをましにしたいところ.

 

 

 仕事で悩むことは珍しい.久しぶりに悩んだのが上記.

 一方,割と常に悩ましいのが実家のこと.親とはあまり折り合いがよくなく,なかなかうまくいかない.

 私としては,結構頑張っているつもりなのだけど,親の要求水準に達しないというか,いちいちやなことを言われて削られる.

 今の自分があるのは親のおかげという面は多分にあることは事実で,それゆえ親を大事にとか,理屈抜きにそうあるべきよねとか,いろいろと思うわけだけれど,親とやり取りするだけでこんなに疲れるので,この関係を続けていけるのか不安に思う.

 

 

 ものすごく道徳的に不適切な発言をすると,親って子にとっては呪縛だなと思う.いや,そうならないよう努力している親というのもいるかもしれないが.

 ひとつには,曲がりなりにも「育ててくれた」という変えがたい恩みたいなのがあるから.実際は恩でも何でもないことのはずだが,子としてはそれは覆せない事実で,道徳的に抗い難い事実だろうと思う.子のできる範囲で親のためにしてやれば良いと思うけれど,実際はそれほど柔軟な関係でもないように思う.

 ふたつめに,老いていけば病気や介護という負担があること.遠方の親の介護なんて,想像できないのだけれど,子の生活に大きな影響を及ぼすだろう.諸先輩がたはどうやって折り合っているのか知りたい.

 

 親の言う,「育てたんだから,その後の親の面倒くらい見て」というのは,覆せない命題なのだろうか.

 私自身は,親になることはないだろうけれど,仮に親の立場なら,まず子の近くかつ,干渉しない程度の距離で生活できるよう努力する.生活の面倒については,子の判断ではあるが,金で解決(施設含む)するかどうかについてあらかじめ考えておく.面倒をみるために,子の生活に制限がかかって欲しくない.

 子育ては,したことないけど多分,自分にとっては楽しみだと思う.私が思うところでは,親の方こそ子に感謝するんじゃないだろうか.

 

 親子という,変えようのない関係性とうまく付き合うには,親も子も,お互いに無限に責任を持ったり,干渉したりしないあり方を作り,維持していくべきなんじゃないだろうか.

 子,アホだからアホなことをするものである.必要最低限の監督義務以外を親に負わせるべきではないのではないだろうか.少なくとも,過剰な社会的な制裁が必要だとは思わない.虐待という現象にも注意が必要だと思う.

 子の人生は,やはり子のものである.親が責任を持とうと思うことが無理筋であり,どのような人生もその子が引き受けるしかない.最低限の教育としつけがあればよいのではないだろうか.あと,しっかり褒めてあげて欲しい.

 親,現代の日本は医療と介護の多くの部分が社会化されている.家族で過ごしたいというのはかけがえのない価値だし,それを可能な限り実現する仕組みも存在するけれど,やはり子の生活に影響を与えることは不可避だろう.平たく話し合いを持ち,子に引き受けてもらう範囲を決めて,社会に引き受けてもらわざるを得ないときはそうして欲しい.そういう意味で,小さいうちから家族で普通に話ができるような関係を作っておくことが大切.

 

 親子,家族,夫婦,パートナーという関係性が,もう少し柔軟であってほしいと思う.固い関係性は,いろいろとしんどい.

 それでも,ぼちぼち関係修復をやらないとなと,気が重い.