特定不能の何か

医学と社会保障、国家、人生、感じたこと.

センター試験らしい

 電話をして、お風呂に入って、明日の用意をして、ふとツイッターを見ていたら、どうやら明日はセンター試験らしいことを知った。

 

 自分がセンター試験を受けたのは、もう12年も前になる。2回受けた。浪人したから。

 1回目は、初めてのことだから当然右も左もわからなかったけれど、本番中からもうダメだという感じがしていたような気がする。判定は、悪かった気がする。国立前期で落ち、後期は受かったけれど辞退して、浪人した。

 浪人時代は、自分の存在価値が極限まで下がり、穀潰しであることを自覚しながら生きていたと思う。なんとか勉強だけは続け、試験勉強に関しては、夏ころにハッと開ける感じがあって、現役時代よりもましな成績で過ごした。

 2回目のセンター試験は、それこそ恐ろしい体験だった。不合格の恐怖に怯えながら、震えながら問題を解いたのを覚えている。

 実は、結果はあまり良くなかった。でも、どうしようもないと思って、前期は志望校の国立を受けたら、幸いにも受かった。

 

 自分の人生の中でも、一番ラッキーだった瞬間だった。

 もちろん努力はしたけれど、試験にうまくいくかどうかの保証はない。当時は、それなりに自分の力を出した結果ではあったけれど、それはあくまでテストの上であって、例えばその時の他の受験生が優秀だったら、合格ラインは上がるわけだし、時の運なのだろうと思っている。

 

 そうは言っても、私がコントロールできるのは、今この瞬間の選択しかない。周囲の環境や、巡り合わせには、意見はできない。

 それだったら、周りには文句を言わず、今この瞬間を、自分の正しいと思ったことをやるしかないのだと思う。

 

 そう言った意味で、センター試験はわかりやすい人生の一歩だったかなと思う。