コンピュータ・サイエンスは教養科目に加えられるべきだ
パターソン&ヘネシーの教科書を読んでいる。
シンギュラリティの本も Kindle で読んでいる。
シンギュラリティは近い[エッセンス版] 人類が生命を超越するとき
- 作者: レイ・カーツワイル,NHK出版
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 2016/04/22
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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いま、たまたまだけど仕事でコンピュータ界隈に触れることが多い。
あと、これも思いつきだけど、学生の時から仕事を効率化するのにプログラミングが有効なのではないかと思っていた。
前者はたまたまのめぐり合わせ、後者は正しいか正しくないかは現時点でわからないけれど。
世の中が、コンピュータから切り離せなくなっているのはそうで、いわゆる昔ながらの学びだけでなく、今の社会、文化を理解し、今後のことを考えるには、コンピュータへの理解が必要なのではないかと思った。
なので、文系理系問わず、コンピュータの概念を理解することは大切。上に紹介したパターソン&ヘネシーは、コンピュータの歴史みたいなものだ。シンギュラリティの本は、ちょっとトンデモっぽいけど。
ちなみに、ビッグデータってのも流行りだと思うし、それとともに AI で未来予測とかも流行りだと思う。要は大規模な帰納をやっているんだと思うんだけど、パターン認識と因果関係は別なので、そういった意味で伝統的な統計学みたいなことの理解が必要な気がする。
コンピュータばかりでもだめで、やっぱり社会の中でどう生かすかとか、ヒトとコンピュータがどう共存するかということが大切な気がしていて、雑に言うと文系っぽい理解が伴う必要があるっぽい。
あと、コンピュータ部門でいうと、日本は中国の後塵を拝しているというか、もはや中国の技術と日本の技術ってほぼ差がなくなっている気がする。中国製だからだめだとか、日本製だからよいとかってのがずいぶん嘘っぽくなっている気がする。Lenovo の PC ももはや IBM の ThinkPad ではないと思うけれど、完成度がすごい。日本製 PC は DVD ドライブがあるから仕事場で役立つとか言って、レガシーな方法にハードが縛られている気がする。wi-fi 飛ばして無線でやってくれ。
過去の栄光にこだわらず、国の枠にとらわれない考え方が必要。もちろん自分の国を応援するからこそ、いいと思った Sony 製品とかは買ってるけど、この調子じゃ時間の問題だ。
コンピュータを勉強すると、自由が一歩近づく気がする、というのは言い過ぎかな。あながち間違ってないと思うけれど。