特定不能の何か

医学と社会保障、国家、人生、感じたこと.

久しぶりの(一人の)休日、いつもの(二人の)休日

 先週金曜は、律儀に出勤し、土日は休みでした。

 土曜は、相手が高速バスで東京に来たこともあって、一日ごろごろして過ごし、夜は自家製なんちゃって中華を食べた。4品+ご飯で、結構頑張った感じではあったけれど、諸事情により写真はなし。*1

 日曜(今日)は、相手が友人と遊びに行くとのことで、一日一人で過ごした。

 朝から玉川上水沿いに国立まで走り、昼からシャワーを浴び、昼ごはんを作って、仕事をいくつか片付け、今週の作り置きを軽く作り、合間に英会話を数講座と読書をやって、今に至る。

 

 一人で週末を過ごすことが少なくなったけれど、それにも増して、平日に疲れることが多くなって、週末に頑張れないことも増えたように思う。実は、ボランティアとか市民講座とか、行きたいなと思っているのだけれど。そういう、プラスアルファができるようにしたいなと、改めて思った。

 

 二人で過ごす休日は、だいたいは街に出てもっぱらウインドウショッピングをしたり、お茶をしたり、ご飯を食べ酒を飲んで、時折ゲイバーなどに寄って帰るといったもの。連休には、国内だけれど、ちょっと足を伸ばして旅行をすることもある。

 8ヶ月くらい経ったけれど、若干落ち着いた大人たちは、どうやって普段をすごしているのだろう。昨日のゆっくりした時間の中で、どこにもいかずのんびりしていていいのだろうかと若干の焦燥感はあったのだけれど、とはいえ毎週のように新宿でウェイウェイするのもどうかと思うところである。

 子がいれば(最近こういう話し振りが多いけれど)、公園に行ったり、ヨーカドーに買い物に行ったりするのだろう。遊園地とか、イベントものに出かけたりもするんだろう。

 そうやってまんじりと考えていた。人間、いつまでデートするんだろうなあ。健康成人が二人、家にいたらやることはほとんどないわけです。野生動物のようになってしまう。それでいいのかどうか。

 

 昨日は、とても久しぶりに、しっかりご飯の用意をして、野菜とタンパク質をよく取り入れた食事を囲めたように思った。外食にはない、肯定感溢れる食卓。(自画自賛

 家族でも友達でも、内食でも外食でも、共に食事を囲むことが一緒に暮らしていくことなんだったよなあと、改めて思い出しました。

 

 そういった、地味だけど大切な、「いつもの」を大切にしたいと思いました。

*1:食事や部屋の風景、そして弁当の写真というのは、個人の特定性が高いように思われるので、最近はアップロードしていない。ま〜バレてもいいんだけれど。