特定不能の何か

医学と社会保障、国家、人生、感じたこと.

3連休

 なかなか苦しい1ヶ月が終わった。先週金曜が勝負の日(※ただの会議)で、そこまでの準備に恐ろしいくらい時間をかけた。まあ、書類の作成などなどの、下働きであったけれど。週2くらいで終電を逃し、タクシーを使ってしまった。

 「家庭の事情」で休む同僚・上司のカバーは、残された人間、特に独身が負う。まあそれは、仕方のないことだし、恨むのは筋違い。実際恨んではいない。ただ、苦しかったなあ。

 そんなわけで、2月に入って2週間そこらなのに、時間外労働時間が60時間を超えていたが、なんとかかんとか無事に終わったので、一息つける連休となっています。

 

 今週は、相手が友達と旅行へ出かけているので、一人で東京で過ごす。やろうと思えば人に声をかけて、飯くらいいけるというのに、どうもそういう色気が出なくて、一人で過ごす。

 英会話をやり、積読を消化し、料理をし、できれば明日は走りたい。

 一人でできることを一人で黙々とやる。そうやって、これまでも過ごしてきたなと思う。それってやっぱり、はたから見ればすごく寂しそうに見えると思う。自分としては、悪くない過ごし方なのだけど。

 なんというか、研鑽するのが好き。

 

 今日の英会話は、Loveについて語ることだった。

 日本語、あるいは日本人における愛、というのは、なんだか重い。とりあえず重い。そういう感じがする。しかし、今日のセッションでは、Loveにはいくつか種類があることを学んだ(まあ、知ってたけど)。性愛的なもの、友愛的なもの、家族愛、犠牲心?そんなものもあった。

 日本語で愛、というと、もっぱら異性に向けられるもののような気がする。あるいは、小動物とか、かわいそうなものとか。

 私は、割と常に、人に対して愛というほどではないけれど、親切に生きよう、と思っている。相手の立場に立って、わかりやすいメールを送るとか。文体に気を配って、鋭すぎない表現にするとか。良いところを頑張って見つけて、褒めるとか。そういう心がけは、自分にとっては他人への愛なのだと思う。ただ、難しいのが、それによって自分えらいと思ってしまうところもなくはないというところ。そう考えると、打算的だから、ちょっと違うのかもしれない。

 愛ってなんだろう。よくわからないけれど、他人との関係性でいうなら、相手の人生を共有する覚悟なのかな。

 

 日本語でも難しい。英語では、なおのこと難しい。

 

 ちなみに今日は、寒さも緩んだしボールペンを買うためだけに新宿に行った。消せるボールペンの便利さに、最近気付いた。文具愛もあったな。

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