特定不能の何か

医学と社会保障、国家、人生、感じたこと.

建国記念日

 本日2月11日は建国記念日

 相変わらずな生活を送り、1日の総支出は1000円程度。なんということか。休日は、とにかくなにか活動しないと、という気持ちになってしまうのだが、ランニングをして、460円の銭湯に使って、170円弱の交通費で帰宅し、500円ほどの買い物をした。充実、しかしチープ。

 今日は、居住地である杉並区の西の市(伏せる意味なし)から、表参道まで走った。およそ、19キロ、1時間40分ほど。青梅街道を東に進んで、中野坂上で南へ折れて、渋谷と新宿の境目のようなところを首都高に沿って走り、代々木公園を抜け、表参道へ。

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東京の空を走る首都高

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代々木八幡宮

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代々木公園から眺める謎の建物

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明治神宮前のお神輿

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目的地の南青山の綺麗な銭湯

 走っていて、風景が色々と変わって楽しいコースだった。

 建国記念日をお祝いしてか、お神輿の行列もあったし、何より銭湯がかなりいけてる感じだった。

 この銭湯は、おすすめです。

3連休

 なかなか苦しい1ヶ月が終わった。先週金曜が勝負の日(※ただの会議)で、そこまでの準備に恐ろしいくらい時間をかけた。まあ、書類の作成などなどの、下働きであったけれど。週2くらいで終電を逃し、タクシーを使ってしまった。

 「家庭の事情」で休む同僚・上司のカバーは、残された人間、特に独身が負う。まあそれは、仕方のないことだし、恨むのは筋違い。実際恨んではいない。ただ、苦しかったなあ。

 そんなわけで、2月に入って2週間そこらなのに、時間外労働時間が60時間を超えていたが、なんとかかんとか無事に終わったので、一息つける連休となっています。

 

 今週は、相手が友達と旅行へ出かけているので、一人で東京で過ごす。やろうと思えば人に声をかけて、飯くらいいけるというのに、どうもそういう色気が出なくて、一人で過ごす。

 英会話をやり、積読を消化し、料理をし、できれば明日は走りたい。

 一人でできることを一人で黙々とやる。そうやって、これまでも過ごしてきたなと思う。それってやっぱり、はたから見ればすごく寂しそうに見えると思う。自分としては、悪くない過ごし方なのだけど。

 なんというか、研鑽するのが好き。

 

 今日の英会話は、Loveについて語ることだった。

 日本語、あるいは日本人における愛、というのは、なんだか重い。とりあえず重い。そういう感じがする。しかし、今日のセッションでは、Loveにはいくつか種類があることを学んだ(まあ、知ってたけど)。性愛的なもの、友愛的なもの、家族愛、犠牲心?そんなものもあった。

 日本語で愛、というと、もっぱら異性に向けられるもののような気がする。あるいは、小動物とか、かわいそうなものとか。

 私は、割と常に、人に対して愛というほどではないけれど、親切に生きよう、と思っている。相手の立場に立って、わかりやすいメールを送るとか。文体に気を配って、鋭すぎない表現にするとか。良いところを頑張って見つけて、褒めるとか。そういう心がけは、自分にとっては他人への愛なのだと思う。ただ、難しいのが、それによって自分えらいと思ってしまうところもなくはないというところ。そう考えると、打算的だから、ちょっと違うのかもしれない。

 愛ってなんだろう。よくわからないけれど、他人との関係性でいうなら、相手の人生を共有する覚悟なのかな。

 

 日本語でも難しい。英語では、なおのこと難しい。

 

 ちなみに今日は、寒さも緩んだしボールペンを買うためだけに新宿に行った。消せるボールペンの便利さに、最近気付いた。文具愛もあったな。

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センター試験らしい

 電話をして、お風呂に入って、明日の用意をして、ふとツイッターを見ていたら、どうやら明日はセンター試験らしいことを知った。

 

 自分がセンター試験を受けたのは、もう12年も前になる。2回受けた。浪人したから。

 1回目は、初めてのことだから当然右も左もわからなかったけれど、本番中からもうダメだという感じがしていたような気がする。判定は、悪かった気がする。国立前期で落ち、後期は受かったけれど辞退して、浪人した。

 浪人時代は、自分の存在価値が極限まで下がり、穀潰しであることを自覚しながら生きていたと思う。なんとか勉強だけは続け、試験勉強に関しては、夏ころにハッと開ける感じがあって、現役時代よりもましな成績で過ごした。

 2回目のセンター試験は、それこそ恐ろしい体験だった。不合格の恐怖に怯えながら、震えながら問題を解いたのを覚えている。

 実は、結果はあまり良くなかった。でも、どうしようもないと思って、前期は志望校の国立を受けたら、幸いにも受かった。

 

 自分の人生の中でも、一番ラッキーだった瞬間だった。

 もちろん努力はしたけれど、試験にうまくいくかどうかの保証はない。当時は、それなりに自分の力を出した結果ではあったけれど、それはあくまでテストの上であって、例えばその時の他の受験生が優秀だったら、合格ラインは上がるわけだし、時の運なのだろうと思っている。

 

 そうは言っても、私がコントロールできるのは、今この瞬間の選択しかない。周囲の環境や、巡り合わせには、意見はできない。

 それだったら、周りには文句を言わず、今この瞬間を、自分の正しいと思ったことをやるしかないのだと思う。

 

 そう言った意味で、センター試験はわかりやすい人生の一歩だったかなと思う。

久しぶりの(一人の)休日、いつもの(二人の)休日

 先週金曜は、律儀に出勤し、土日は休みでした。

 土曜は、相手が高速バスで東京に来たこともあって、一日ごろごろして過ごし、夜は自家製なんちゃって中華を食べた。4品+ご飯で、結構頑張った感じではあったけれど、諸事情により写真はなし。*1

 日曜(今日)は、相手が友人と遊びに行くとのことで、一日一人で過ごした。

 朝から玉川上水沿いに国立まで走り、昼からシャワーを浴び、昼ごはんを作って、仕事をいくつか片付け、今週の作り置きを軽く作り、合間に英会話を数講座と読書をやって、今に至る。

 

 一人で週末を過ごすことが少なくなったけれど、それにも増して、平日に疲れることが多くなって、週末に頑張れないことも増えたように思う。実は、ボランティアとか市民講座とか、行きたいなと思っているのだけれど。そういう、プラスアルファができるようにしたいなと、改めて思った。

 

 二人で過ごす休日は、だいたいは街に出てもっぱらウインドウショッピングをしたり、お茶をしたり、ご飯を食べ酒を飲んで、時折ゲイバーなどに寄って帰るといったもの。連休には、国内だけれど、ちょっと足を伸ばして旅行をすることもある。

 8ヶ月くらい経ったけれど、若干落ち着いた大人たちは、どうやって普段をすごしているのだろう。昨日のゆっくりした時間の中で、どこにもいかずのんびりしていていいのだろうかと若干の焦燥感はあったのだけれど、とはいえ毎週のように新宿でウェイウェイするのもどうかと思うところである。

 子がいれば(最近こういう話し振りが多いけれど)、公園に行ったり、ヨーカドーに買い物に行ったりするのだろう。遊園地とか、イベントものに出かけたりもするんだろう。

 そうやってまんじりと考えていた。人間、いつまでデートするんだろうなあ。健康成人が二人、家にいたらやることはほとんどないわけです。野生動物のようになってしまう。それでいいのかどうか。

 

 昨日は、とても久しぶりに、しっかりご飯の用意をして、野菜とタンパク質をよく取り入れた食事を囲めたように思った。外食にはない、肯定感溢れる食卓。(自画自賛

 家族でも友達でも、内食でも外食でも、共に食事を囲むことが一緒に暮らしていくことなんだったよなあと、改めて思い出しました。

 

 そういった、地味だけど大切な、「いつもの」を大切にしたいと思いました。

*1:食事や部屋の風景、そして弁当の写真というのは、個人の特定性が高いように思われるので、最近はアップロードしていない。ま〜バレてもいいんだけれど。

2019年あけまして

 あけましておめでとうございます。もう1月3日。ということは、明日から仕事です。1日でできることは多くない一方、1日あればできる仕事もたくさんあるので、上司部下が軒並み休みの明日、静かな環境で書類作りをやっておこうかと思います。

 

 正月は、実家で過ごしましたが、なかなか苦しみました。

 円満な家族というわけでもなく、かといって危機的でもないのですが、今年はどちらかというと危機的な感じになりました。子どもとか、そういうのが私に入れば、ちょっとは雰囲気もよくなるんでしょうが、今さら両親とものすごく話がはずむわけでもないし。こればかりは仕方ないでしょうか。まめに連絡を取り合うとかいう改善策はあるでしょうけど、焼け石に水で、あまり効果はなさそうです。

 慢性的な、解消できないもつれ、みたいなのがあって、私は進学して、親とは価値観を異にして(両親ともに、高卒で働いています)、今は東京で暮らしていますから、ある意味で生まれ育った家庭から一線を画して生きてきたように思います。性的指向とか結婚どうこうとかよりもさらに根本的に、生まれ育った家族とどう向き合うか、悩んでいて、目をそらしたく思っているように感じます。

 一方で、育ててもらったおかげで、社会的にはうまくいっていると思うので、それは自分だけの力ではなく、親の支えあってこそだとはもちろん思っています。

 アンビバレントな感情と、結局は、子は親を引き受けないといけないんだろうなという諦めと、いろいろ再認識したお正月でした。自分自身の病気と入院の経験からも、困った時はやっぱり家族なんだろうな、とは思っているところです。

 

 

 2019年になり、先日書いた2018年のまとめを踏まえつつ、過ごしていきたいと思います。

 今年は、間違いなく仕事がしんどいので、サバイブすることを目標に。

 できれば、本を継続して読みたい(月に2冊くらい)。あと、TOEFL 100点超えを目指したい・・・(今は90点弱)。

 本は、最近英語の勉強に押されていて、ほとんど読めていません。通勤時間の約2時間を、英単語、Coursera講座、ラジオ英会話でほとんど消費してしまっています。英語の勉強にあまり漫然と時間を割くのもよろしくないので、ちょっと改めようかと思います。年末年始、本を数冊読んだんですが、やはり仕事で苦しんだ後に真面目な本を読むと、気づきが多いように思います。別の視点を取り入れる工夫が必要ですね。

 TOEFLは、できれば今年、2回くらいは受験したいです。金はかけられないので、フィリピン英会話と自習でなんとか乗り切りたいです。YouTubeにいいリスニング教材があると聞いたので、また今度調べよう。

 

 あと、彼がおほもだちとウェイウェイしたという話をしていたので、私もウェイウェイできるよう、友の輪を広げたいなと思いました。ただ、カラオケだけは無理なので、それ以外でウェイウェイしたいです。元気な時に・・・

2018年終わり

 なかなか更新する機会というか気持ちがなく、数ヶ月放置していた。

 

 今日はもう大晦日だけれど、実家に帰っている。正月に帰省したのはいつぶりだろうか。あまり覚えがない。なんだかんだ仕事を理由に帰省を避けていたのだけれど、今年は転職して、カレンダー通りの休みになったので、言い訳も立たずに帰省した。

 こっちの話はともかくとして、実家に帰るたびに親や兄弟との話が合わなくなってきているように思う。仕事の話にしても、生活の話にしても。まあそんなもんなのかな。ガキ使とか見ているけど、なんかもう色んなとこから苦情が来そうな内容だし、人の声のボリュームが大きいし、落ち着いてみていられない。

 そんな、ネット時代のおっさんみたいになっている私。

 

 

 2018年は、転職して仕事と生活が大きく変わった一年だった。何度か書いたかもしれないけれど、職場を変えたのは3回め、職種が変わったのは初めてだった。やはり1年目というのは概して苦しくて、やってる事自体の不慣れに加えて、前の仕事よりもより他人との共同作業が増えた。きつい上司とも付き合わないといけなかった。それは、幸いにも異動で解決したのだけれど(今の上司は結構よい)、今度は部下の仕事押し付けに遭っている。自分自身が慣れてきたし、同僚のほとんどもとても支援的で、あと、一番の発見は、これまで苦手だなと思っていた上司が、かなり私のことを見ててくれてて、そういった状況もかなり察してくれて、アドバイスをくれること。はじめ、取っつきにくいなと思っていたのだけれど、交流が増えて変わってきて、やっぱり第一印象だけで人を判断してはいけないなと心底思った。だから、今の部下も、関わり方を工夫すればもう少しチームとして、協調してやれるのかもと思って、時期を見てアプローチするつもり。不満が溜まって愚痴ってしまうこともあったけれど、なるべく周囲にネガティブなことを言わないように、チームでやれるように、頑張るつもり。

 

 来年は、今の仕事をしっかり続けて、付加価値も出せるように。来年は、2年に一度の大変な年だから、とりあえずサバイブするだけでOKだと思っていて、その他のことも最低限で、なんとか乗り切りたい。

 

 

 今年は、あまり山には登らなかった。去年のほうが、可処分な時間が多かったから。今の仕事は、週末の休みは確実だけど、平日の時間外がとにかく長い。大体23時くらいに仕事を終えるのが普通だったりして、そうなると週末に疲れ感を引っ張ってしまう。山に行くには、基本的には金曜夜に移動し始めて、土曜の早朝から歩くのが常だったので、前の職場では金曜の仕事終わりに運転して長野や山梨に入って、仮眠して登るというスケジュールだったけれど、そういうのが厳しくなった。まあ、年に数回登れればいいかな。去年は、10以上登ったんじゃないか。そういう登り方はやめようかなと思う。

 

 マラソンはそこそこだったけど、やや減ったかな。ウルトラを1、フルを3か4ほど走った。特に、2018年度は2つのフルマラソンなので、あまりがんばれていない。来年も、今の所エントリーしていない。11月末の富士山マラソンでは、楽しく走ったもののかなりきつくて、練習不足を実感した。短くても週2回ほど走りたい。これは、来年に向けて、また習慣を取り戻したいと思うところ。

 

 

 東京に引っ越してそうそう、アプリで会った人と付き合っている。8ヶ月くらい経った。あまりウェイウェイはしていないけれど、山に登ったり、旅行に行ったり、温泉に行ったりしている。初めてのゲイバーにも連れて行ってもらった。最近はほとんど行っていないけれど。

 友達がもう少し増えるといいなとは思う。ウェイウェイしてない人もいるらしいし。そういえば、春にブロガーオフしたりもした。それ以外にも、ブロガーさんとご飯に行ったりもしたんだった。ほそぼそつながっていたい。

 

 

 病気もした。2018年は2回も入院して、異例だったと思う。

 骨折も肝炎もなかなか辛かった。

 親、同僚、彼にも見舞いに来てもらった。今回のところは、急性疾患だったし、幸い最悪の事態は免れた(とはいえ、骨折は手術になったし、肝炎も相当悪くなったけど)。一人で生活できることを当然視していたけれど、何が起こるかわからない。体の問題だけじゃなく、心が折れることだってありうる。

 前にも書いたけど、他人と生きていくことは大変なんだけど、一人でやっていけないこともあるから、そこのところは注意しないといけない。

 

 

 2019年は、とりあえず生き延びよう。仕事が明らかに大変になる。

 自分の負担を軽くするためにも、チームで取り組めるような雰囲気を作ろう。

 山登りはそこそこに、ちゃんと走る習慣を保つようにしよう。

 少しだけ、幅広く人と付き合えるようにしよう。

  大事な人と、もう一歩先へ行けるように、考えよう。

 

 みなさまも良いお年をお迎えくださいませ。

懐かしい感情

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 少しオーバーな色味だなと思った。まあ、そういうのは気にしない。

 魚眼レンズっぽく映るのはちょっといやかもしれないけれど、適当に直せばいいでしょう。

 

 

 強めの感情の波に晒される感じ、これはその昔感じたことがあるように思う。

 もう15年以上も前になるか、高校から社会人の1年目まで付き合った女性がいた。子どもだった頃から、大学を経て、社会人になるまで、約10年も付き合った。そのうち半分以上は遠距離だった。お金のない大学生だったから、奨学金を工面して中国地方から東京まで、バスで行き来して会いにいっていた。今でこそ、新宿のバスターミナルは綺麗になったけれど、その当時はわけわからんビルの間から出発するものだから、よく迷子になっていて、当時の彼女に道案内をしてもらっていた。多分、西新宿のあたりから出発していたと思う。

 そうやって、くっついたり離れたりという経験を久しぶりに思い出して、感じた。心が引っ張られるような、そんな感じ。

 あれから10年以上も経って、それこそいろいろ変わった。年齢に伴って変わる、社会的なことだけじゃなくて、内面も随分変わった。(側にいるのは男だし)

 だけど、同じような懐かしい気持ちになるものなんだなと、そこは変わらないんだなと思うと面白い。いや、寂しいんだけれど。

 

 今日は東京から出発の新幹線を待つ間に、東京駅周辺を散策した。本屋と散歩が好き、といいながら、オアゾ丸善を見たり皇居周辺を歩いたりした。街はライトアップされていて、公園の噴水を二人で眺めたりなんかした。

 そういう待ち時間って、どんなに綺麗なものを眺めていてもちょっと苦しいものなのだ。

 

 

 かねてより聞いていたけれど、予定されていた異動が近づいているらしいとのこと。時期的には11月中の見込みとのことを内々に聞いていたが、具体的な日取りが決まりそうらしい。今以上に忙しい、おそらく全部署のうち最も忙しい部署。一方で、今後の出世を考えると必ず通る道、らしい。

 来たる日に備えて準備を進めよう。

 あと、置いていかないといけない部下がいるので、彼女の支援の根回しもやっておかないと・・・