特定不能の何か

医学と社会保障、国家、人生、感じたこと.

適当日記

 適当な日記しか書けない程度には忙しいです.

 

 日々,病気のお子さん方をみていると,私の人生30年よりも遙かに濃厚で強烈な苦痛に晒されて,それでも日々生きる(しかない)様子に,様々な思いを禁じ得ません.

 彼らの病気は,本当に「彼ら自身に責任がない」ので,偶然の産物*1です.

 ある意味では,彼らを見ていると「生まれながらに不平等」を体現していると思います.そういう人生を想像するに,つらくなります.

 

 座間市の連続殺人事件ですが,報道によると被害者の方々は自殺希望だったようで,ツイッターで出会っちゃったんだろうなと思いますが.自殺っていうソリューション(?)が比較的ハードル低く使える雰囲気の我が国ならではの事件のようにも思えます.

 

 生まれながらに病気をもつ子,それは身体的のみならず精神的にも脆弱な子たちは,生きること自体への辛さを感じる隙もなく生きているような気がして,ふとそういう気が緩んだ時に,どこまで生きていけるんだろうと心配になることもあります.

 個人というミクロ的観点からは,死ぬっていう解決方法は全てから解放されるすばらしい方法に見えかねなくて,人のつながりや社会全体といったマクロなムードが,辛い人を支えられないといけないなと思いました.

 経済的に衰退していくことがほとんど必定な我が国で,昔ながらの繁栄や幸せを実現することは難しく,もしかしたらいろいろ辛い人が増えていくのかもしれないですが,せめて友人,隣人,たまたま出会った誰か,には優しくしたいなと思う今日この頃でした.

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*1:遺伝的なものを偶然というのは語弊があるかもしれませんが.